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TOP > マッサージルーム リカバー 日記 > かき氷を食べながら観る二本の台湾映画
今年初めてのかき氷を食べました。
色鮮やかなシロップを見て唐突に思い出します。
小学校に上がる前のある夏の終わりの昼下がり、隣に住んでいた私より3つ年下の女の子と一緒によく近所の駄菓子屋に足しげく通い、縁台に並んで腰掛けてかき氷を食べてました。
実は彼女は生まれつき盲目でした。
共働きの彼女の両親は仕事に出ている間、娘の身を案じ私の家に預けている事が多かったのです。
だから当時の遊び相手は私だけ。
私にとってもほとんど彼女だけ。
近所には多数の子供たちがいたのですが彼女の両親から(他の子では心配だからお願いね)といつも懇願されていた上、就学前はどこにも通ってなかったから彼らと遊んだりする機会がほとんど得られなかったのです。
今の若い世代には想像しにくいかもしれませんが私らの世代には幼稚園や保育園に通わぬまま小学校に上がる者も珍しく有りませんでした。
いつも午睡をとった後に会う彼女の眼は、たとえ見えなくても、氷イチゴの赤と空の青を交互に映し出してキラキラ輝いてます。
そしてこの日も元気な私はシロップで黄色く染まった舌をペチャペチャ言わせながら喉にある三叉神経が刺激された時に襲われる、例の、あの頭痛で見え過ぎるかもしれない眼を閉じてました。
ヒグラシが鳴く頃とはいえ、点けっぱなしのラジオが向こう一週間は残暑が続くと言ってます。
盲目の少女に淡い気持ちを抱いていたわけではありませんが、何故かこのひと時は汗の滲出が止まり、互いが抱え持つ負の条件さえ凍結していたような記憶があります。
(エエもん食ってるなあ)と言って通り過ぎるのは、いい歳していつも情炎を燃やしているような近所でも有名な女たらしのオッチャン。
(おなかこわさないでね)と優しく言うのは情感をたっぷり込めた歌が得意なスナックのママ。
(懐かしいね)と言うのは、この下町には不釣合いなほど上品な銀髪の婦人。
(ひとくちくれ)と言うのは幼子から見ても社会の落ちこぼれだと一目で分かる正体不明の近所の兄ちゃん。
(さすがにもう時期外れやろ)と言うのは、日がな1日、昔日の頃を想い、機会あらば自分の若かりし頃の武勇伝を聞かせたがるお爺さんです。
かき氷をきれいに平らげた私は匙で以ってガラスの器の縁を叩いて(チーン)と鳴らし、少女もそれに倣います。
この時だけは周囲全体が一斉に水を打ったように静まり、前を行き交う人、皆がこちらを見ます。
そね反応が可笑しかった私たちは繰り返し(チーン、チーン)と、鳴らしますが、さすがに腹を煮やした駄菓子屋のおばちゃんは
(やめなさい!縁起悪い!)と住まいを兼ねた店の奥から怒鳴ってきます。
何故、こんな情景をこの年の今、昨日の出来事のように鮮明に思い出すのか分かりません。
が、ひとつだけ確信できる事。
こんな情景を追憶のひとつに出来るからこそ、侯 孝賢 の『童年往事 時の流れ』や
『風櫃の少年』
を観て、一度も訪れた事のない台湾の田舎町が懐かしく想えるのです。